国内男子
遼、大先輩・杉原の訃報に絶句
2011年12月29日(木)午前10:55
年末年始も関係なくトレーニングと練習に明け暮れる石川遼だが、大先輩・杉原輝雄の訃報に絶句した。杉原は28日朝、前立腺ガンがリンパに転移し大阪府の自宅で死去した。74歳だった。
沖縄で練習を行った後、関係者から悲報を聞かされてしばらく言葉を失ったが、その後気を取り直してコメントを伝えた。「病気と闘いながら生涯現役を貫かれた姿が印象的です。杉原氏のような名選手と同じ時代にプレーできたことが一番心に残っております。ご冥福をお祈りいたします」というもので、親子どころか祖父と孫といってもおかしくない世代の違いを乗り越えた関係がうかがえる。
当時アマチュアだった15歳でツアー優勝を飾り、翌年プロに転向した石川に対しても、杉原はプロの先輩として厳しく、そして温かく接した。2008年、石川のスポンサーでもあるパナソニックが主催するパナソニック・オープンの記者発表では一緒にラウンドした経験もある。石川はこのときアドバイスを受けた影響で杉原のゴルフに対する姿勢を尊敬していただけに、ショックは大きかったようだ。
だが、杉原のプロとしての姿勢は石川の胸に刻まれている。新しい世代の代表として偉大な先輩の跡を継ぎ、さらに大きく羽ばたくために石川は突き進む覚悟を新たにしていた。
沖縄で練習を行った後、関係者から悲報を聞かされてしばらく言葉を失ったが、その後気を取り直してコメントを伝えた。「病気と闘いながら生涯現役を貫かれた姿が印象的です。杉原氏のような名選手と同じ時代にプレーできたことが一番心に残っております。ご冥福をお祈りいたします」というもので、親子どころか祖父と孫といってもおかしくない世代の違いを乗り越えた関係がうかがえる。
当時アマチュアだった15歳でツアー優勝を飾り、翌年プロに転向した石川に対しても、杉原はプロの先輩として厳しく、そして温かく接した。2008年、石川のスポンサーでもあるパナソニックが主催するパナソニック・オープンの記者発表では一緒にラウンドした経験もある。石川はこのときアドバイスを受けた影響で杉原のゴルフに対する姿勢を尊敬していただけに、ショックは大きかったようだ。
だが、杉原のプロとしての姿勢は石川の胸に刻まれている。新しい世代の代表として偉大な先輩の跡を継ぎ、さらに大きく羽ばたくために石川は突き進む覚悟を新たにしていた。