小松直行の週刊オフチューブ ?摩天楼のドバイに何かが起こる!?マキロイはタイガーを超えるのか?
2015年7月15日(水)午後0:56
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LIVE FROMのMCや欧州ツアー中継の実況を担当している小松直行アナウンサーが、欧州ツアーの最新動向や見どころ等を、小松アナならではの視点でお届けします。
目次:
■砂漠に緑のじゅうたん、摩天楼のドバイに何かが起こる!?
■マキロイはタイガーを超えるのか
■2010年大会の勝負師同士の一騎打ちはスゴかった
■小松の小耳:「ゴルフは最良のセラピーだ」とクリントン元大統領は言った
■こまつのソラミミ♪
オメガ・ドバイデザートクラシック
湾岸3連戦の締めくくりはドバイです。 この試合は中東ペルシャ湾岸での試合の元祖。 湾岸諸国の中でも原油埋蔵量の少ないドバイは、早くから新時代をにらんだ独自のアイデンティティーの確立を目指していたのでした。 世界の金融センターとして、観光都市として、そしてスポーツの拠点として世界一を目指すドバイで1989年に始まったこの試合も26年目となりました。 舞台であるエミレーツGCは砂漠緑化技術の粋を集めて作られた奇蹟のオアシス。 砂漠の中の宝石とも讃えられた瑞々しい緑のコースの周囲には、いまなお増殖し続ける摩天楼。 年末のツアー最終戦もあって、年に2度訪れることになるドバイは明らかに旧来のゴルフのイメージを変えました。
このドバイでプロとしての初優勝を飾ったのが現世界ナンバーワン、ローリー・マキロイ。 そのときの印象もありますが、天衣無縫といった感のあるマキロイのゴルフとドバイでのゴルフのイメージには、重なるものがありませんか?
1992年の第3回大会では、上がりの6ホールで4つのバーディーを決めたセベ・バレステロスがローナン・ラファティーとの勝負をプレイオフにもち込んで勝ち抜きました。
この年は日本から青木功選手が出場。 初日、二日めをバレステロスと回っていました。青木選手はファルドとともに6位タイに終わりましたが、豪、バンコク経由でドバイに入る際に冬物を日本に送ってしまって、ドバイでは寒い思いをしたという話。青木選手は1994年にも出て渡辺司選手とともに4位タイとなっています。
巨大な“ダーラートロフィー"はコーヒーポット
ユニークな銀の優勝杯はダーラートロフィーと呼ばれます。“ダーラー(DHALLAH)"はコーヒーポットの意で、この地で伝統的に使われている形状を模して1989年に地元で製作されました。重さは20 kg。高さ1m、幅75cmもあるんです。
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ローリー・マキロイとタイガー・ウッズの比較
今週は世界ランキング1位のローリー・マキロイが、アブダビに次いで出場です。
去年夏のメジャー連勝でゴルフの新しいスーパーヒーローとなったマキロイにとって、ドバイ・デザートクラシックは初優勝の思い出の試合。タイガー・ウッズのいるドバイでプレイしたことが5回ありますが、うち2回はタイガーが優勝。いまや戦績でウッズを越える可能性が取りざたされるようになったマキロイと、タイガーのドバイでの戦績を比べて見ました。
タイガーは去年まで7回出場していますが、不倫スキャンダル前の絶好調時の5回を見て見ると、すべてトップ5位までに入っていて2勝。
エルスとのプレイオフ(2006)に勝ち、カイマーに1打差(2008)で競り勝っています。トーマス・ビヨーンとの一騎打ち(2001)や、エルスを追いかける中でヘンリク・ステンソンに先を越されて負けた年(2007)もありますが、平均順位は2.4位。
一方、マキロイはプロになってフル出場2年目だった2009年に初優勝。そこからの5回を見てみれば、すべてトップ10で平均順位は6.2位。ウッズの平均アンダーパーは16.4、マキロイは11.8。全試合の中継を担当して、それぞれの見所を記憶しているわれわれとしては、これだけで、ウッズのほうがすごいと結論付けるのはためらわれますが、数字からはマキロイがドバイでも週末のスコアリングに向上が見られるようになれば、これからウッズ以上の戦績を残していきそうではあります。
スキャンダル前のタイガー・ウッズ | |||||||
年度 | 順位 | R1 | R2 | R3 | FR | Total | To Par |
2008 | 1 | 65 | 71 | 73 | 65 | 274 | -14 |
2007 | T3 | 68 | 67 | 67 | 69 | 271 | -17 |
2006 | 1 | 67 | 66 | 67 | 69 | 269 | -19 |
2004 | T5 | 70 | 69 | 69 | 68 | 276 | -12 |
2001 | T2 | 64 | 64 | 68 | 72 | 268 | -20 |
平均 | 2.4 | 66.8 | 67.4 | 68.8 | 68.6 | 271.6 | -16.4 |
*2001年から2014年まで合計7回出場、2勝、トップ5に5回。2011年20位タイ。2014年は41位タイ。 |
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ローリー・マキロイの過去5年間 | |||||||
年度 | 順位 | R1 | R2 | R3 | FR | Total | To Par |
2014 | 9 | 63 | 70 | 69 | 74 | 276 | -14 |
2012 | 5 | 66 | 65 | 72 | 71 | 274 | -14 |
2011 | 10 | 65 | 68 | 75 | 74 | 282 | -6 |
2010 | 6 | 68 | 70 | 69 | 73 | 280 | -8 |
2009 | 1 | 64 | 68 | 67 | 70 | 269 | -19 |
平均 | 6.2 | 65.2 | 68.2 | 70.4 | 72.4 | 276.2 | -11.8 |
*アマだった2006年から合計8回出場、1勝、トップ5は2回。 |
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【オメガ・ドバイデザートクラシック 放送日時】
1日目:1月30日(金)午後4:00?7:00
2日目:1月31日(土)午後4:00?7:00
3日目:2月01日(日)午後4:00?7:00
最終日:2月02日(月)午後4:00?8:00
2010年のドバイデザートクラシックは、まさに湾岸デザート3連戦の締めくくりたる試合だった。2週前のアブダビで勝ったのは、当時世界ランキング6位の独製高性能昇り龍、マーティン・カイマー。前週のカタールの優勝は2008年欧賞金王のロバート・カールソン。そしてデフェンディングチャンピオンは前年に19歳で初優勝を遂げたローリー・マキロイ。前年11月にこのドバイで圧倒的な強さを誇示しながら最終戦に勝ってレーストゥードバイ初代王座に君臨のリー・ウエストウッド(WR4位)も、カタールで優勝争いを演じたあとにドバイ入りしていた。
最終日は誰かがリードしてもすぐ脱落するモグラ叩きのような展開となり、当時46歳のミゲル・アンヘル・ヒメネスとリー・ウエストウッドのプレイオフとなる。二人がプレイオフで対決するのは初めてだった。まずはパー5の18番が繰り返されるので、飛距離の出て2打でグリーンを狙えるウエストウッドが有利であるのは明らかだった。
ほぼ直角に左にドッグレッグして、池越えのアプローチとなるパー5の18番、ひとホール目は2打でグリーンの左ラフに来ていたウエストウッドが寄せ切れず、バーディーを決められずに分けた。ヒメネスの3打めは10ヤード近くショートしたが、池の縁の石垣すれすれのラフに止まってパーになった。
再び18番での2ホール目、ティーショットを先に打ったウエストウッドは、左コーナーを越えていく大きなドローを打ってフェアウエイに落とした。ヒメネスは右の深いラフに入れてしまい、2打めはなんとかフェアウエイに出すのが優先となって、200ヤードほどが残った。それを見たウエストウッドは3番ウッドでグリーンに着弾させ、球は奥のエッジに転がった。ヒメネスの3打めはグリーン奥のバンカーに落ちた。
ウエストウッドのチップは5m弱のショートで、下りのバーディーパットが残った。ヒメネスのバンカーショットはホールを3m半行き過ぎて止まった。ウエストウッドはバーディーを決められず、タップインのパー。ヒメネスは強いタッチで打ってパーをとった。
試合後のインタビューで、この最初の2ホールをウエストウッドは「災いの前兆」と言った。
「ひとホール目のミゲルの球があそこで止まるなんて・・・。100回あって99回は池に転がり落ちるはずですよ。そしてツアー屈指のベスト・バンカープレイヤーのヒメネスにひどいバンカーショットが出て、それでも5mくらいに止まって、今度はそれを入れて来た。そういうことですよ。プレイオフではそういうことが起きるんだ」
3ホール目は9番パー4、今度は右ドッグレッグで池は左側になる。ウエストウッドは3番ウッドで右コーナーに近いフェアウエイに置き、7鉄での2打めはショートしてグリーンの左手前、池に近いラフにとどまった。ティーショットをドライバーで突き当たりの池に近い浅いラフまで飛ばしたヒメネスは、そこから安全なグリーン右のラフに入れ、チップは1m強に寄せた。ウエストウッドは2m弱のパーパットを入れられず、ヒメネスがパーをとって結着した。
ゴルフの結果は力量の差ではないことが往々にしてある。勝因はつねに分析できるだろうが、百戦錬磨のふたりの戦いは技術や経験の有無を越えた勝負だったようにも思われた。プレイオフだけを切り取って観戦しても見応えがあり、4日間を通してみていけばさらに面白みが増し、そのシーズンを、あるいはプレイヤーたちのキャリアを知るとますます、目の前の勝負の純粋さが際立つというゴルフだった。
自分にできることを知っている自信と勝負にかけるスピリット。ヒメネスのプレイぶりと態度はいつもながらに見事だった。夕闇迫る9番ホールにウィニング・パットが沈んだとき、帽子を取り、生真面目な顔でウエストウッドに歩み寄る姿こそ、ヒメネスが何を大切にしているかを象徴しているようだった。