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丸山大6位タイで来季に希望! 優勝はM.ウィアー
2007年10月22日(月)午前0:00
来季の米ツアー出場権獲得に苦しむ丸山大輔が、大詰めに来て踏ん張った。
賞金ランキング125位に入り、来季の出場権を獲得するためのサバイバルレース、フォールシリーズ第5戦、フライズ・エレクトロニクス・オープン最終ラウンド(現地時間21日、アリゾナ州スコッツデール、グレイホークGC)は、強風が吹き荒れる難しいコンディション。そんな中、6位タイでスタートした丸山大は、2バーディ、1ボギー、1ダブルボギーの1オーバー71でプレー。通算8アンダーで6位タイをキープし4日間を終えた。
これで今季の通算獲得賞金額は43万1,706ドル(約4,900万円)となり、大会前までの174位から154位にランクアップ。好調さを維持すれば、残り2試合でツアー3年目の出場権が手にできる希望の光が見えてきた。
同様に、大会前のランキング135位で、来季のツアー切符まであと一歩の丸山茂樹は、通算1アンダー。前日までの56位タイから35位タイへと順位を上げたが、ランキング下位の選手の成績が良かったあおりを受けて、賞金ランキングは137位へとランクダウンした。
また、大会前の賞金ランキング65位と来季の出場権は安泰ながら、さらに上を狙う今田竜二は、背中の痛みに襲われ5オーバー75。通算2アンダーで27位タイへと転落し賞金ランキングも66位となった。
優勝争いは、首位スタートのカール・ペターソン(スウェーデン)、マイク・ウィアー(カナダ)、マーク・ヘンスビー(豪)の最終組3人が2番を終えて通算12アンダーで並ぶ大接戦。バックナインに入ってボギーが続いたペターソンが脱落したが、ヘンスビーとウィアーは、14番を終えて通算13アンダーと互いに譲らない。だが、15番バーディのウィアーが先に抜け出し、そのまま勝利へと突っ走った。
最終18番でバンカーから1メートルに寄せパーセーブを果たしガッツポーズをすると目を潤ませたウィアー。2003年マスターズでレフティー史上初の優勝を飾った後は、2004年ニッサン・オープンしか勝てずに苦しんだ日々が、脳裏を横切った。
9月に行われたザ・プレジデンツカップには、ゲイリー・プレーヤー主将の推薦でインターナショナルチームの一員としてメンバー入りしたが「舞台が地元カナダだったから」と陰口も叩かれた。しかし、最終日のシングルスでタイガー・ウッズ(米)を撃破する大金星で批判を自ら押さえ込み、自信につなげての復活優勝の喜びは「長かった」の一言に集約されていた。
賞金ランキング125位に入り、来季の出場権を獲得するためのサバイバルレース、フォールシリーズ第5戦、フライズ・エレクトロニクス・オープン最終ラウンド(現地時間21日、アリゾナ州スコッツデール、グレイホークGC)は、強風が吹き荒れる難しいコンディション。そんな中、6位タイでスタートした丸山大は、2バーディ、1ボギー、1ダブルボギーの1オーバー71でプレー。通算8アンダーで6位タイをキープし4日間を終えた。
これで今季の通算獲得賞金額は43万1,706ドル(約4,900万円)となり、大会前までの174位から154位にランクアップ。好調さを維持すれば、残り2試合でツアー3年目の出場権が手にできる希望の光が見えてきた。
同様に、大会前のランキング135位で、来季のツアー切符まであと一歩の丸山茂樹は、通算1アンダー。前日までの56位タイから35位タイへと順位を上げたが、ランキング下位の選手の成績が良かったあおりを受けて、賞金ランキングは137位へとランクダウンした。
また、大会前の賞金ランキング65位と来季の出場権は安泰ながら、さらに上を狙う今田竜二は、背中の痛みに襲われ5オーバー75。通算2アンダーで27位タイへと転落し賞金ランキングも66位となった。
優勝争いは、首位スタートのカール・ペターソン(スウェーデン)、マイク・ウィアー(カナダ)、マーク・ヘンスビー(豪)の最終組3人が2番を終えて通算12アンダーで並ぶ大接戦。バックナインに入ってボギーが続いたペターソンが脱落したが、ヘンスビーとウィアーは、14番を終えて通算13アンダーと互いに譲らない。だが、15番バーディのウィアーが先に抜け出し、そのまま勝利へと突っ走った。
最終18番でバンカーから1メートルに寄せパーセーブを果たしガッツポーズをすると目を潤ませたウィアー。2003年マスターズでレフティー史上初の優勝を飾った後は、2004年ニッサン・オープンしか勝てずに苦しんだ日々が、脳裏を横切った。
9月に行われたザ・プレジデンツカップには、ゲイリー・プレーヤー主将の推薦でインターナショナルチームの一員としてメンバー入りしたが「舞台が地元カナダだったから」と陰口も叩かれた。しかし、最終日のシングルスでタイガー・ウッズ(米)を撃破する大金星で批判を自ら押さえ込み、自信につなげての復活優勝の喜びは「長かった」の一言に集約されていた。